酒田市城輪柵跡  
   
 
 その協調関蜂をゆるがし、破壊したのが仏教であった。六世紀に日本に入ってきた仏教は、七、八世紀にかけて、朝廷を中心に急速な進展ぶりを見せ、やがて国教的な進歩を占めてゆく。その仏教をアイヌ人たちは、絶対に許すことができなかった。殺生を忌む仏教は、山野の動物を獲って生活する者たちにとって、邪教以外の何ものでもなかった。その浸透は身を挺して防遏(ぼうあつ)すべきものであった。