酒田市城輪柵跡  
   
 
 奈良時代は天平九年(七三七)に、約六千の軍勢を率いた鎮守府将軍大野東人は、多賀城を発進して色麻楯(宮城県色麻村)を経て、尾花沢入りをした。それを時の出羽国守であった田辺史難波が、部内の兵五百と帰服の狄百四十を率いて出迎えたと、統日本紀に記されている。狄とは古代中国で、北方の蛮族を指していった語である。それは日本史において「蝦夷」の語で言いあらわされる場合が多かったことは周知の通りである。