随筆『馬の骨』より 『野老』 |
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2025年5月18日の鉄腕ダッシュ 国分太一&草間リチャード敬太が愛知で洞窟内探索! 『横山裕&松島聡は宮崎で自然薯掘り』をボーッと見ていて『自然薯』は現代人(若者)にとって読みづらいな?などと思い、それならオヤジが本に書いたコレはどうだっ!と『野老』を持ち出してみました。 『野老』の写真はないか?・・・あるわけはない そしたら『自然薯』はないか?・・・ない 『山いも』はないか?・・・あってもよさそうだが、食う前に撮ることすら考えたことがなくて、なし ということで、なんとなく根っこが、それっぽい植物を考えてみたら『ドクダミ』の地下茎が、なんとはなしに似ている・・・ ので、文書の添え物で『ドクダミ』で、お茶を濁しましょう |
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根っこが切れないようにがんばって掘ったドクダミ。これも毛があるようで野老っぽい |
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ところで、この野老のことを存外知らない人が多い。 |
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Wikiで『ドクダミ』を見たら、毒はなく根っこをてんぷらにして食べるとおいしいらしい 6月8日に35リットルゴミ袋いっぱいにして、10日にゴミ出ししましたが、ほんの一部で、毎年、全部であと5袋は出す感じです。 |
日本列島に、米や麦が入ってくる前の、遠いとおいむかし、われわれの先祖が、澱粉源として最も多く食し、最も恩恵をこうむった食品は、野老でなかったかと思う。日本人が米の厄介になるようになってから、まだニ、三千年に過ぎない。東北地方では、せいぜい千五百年位のものであろう。それ以前の米のない時代には、山野に自生する野老、山芋、葛や蕨の根などが澱粉源であっただろう。中でも野老が、その最右翼に位置する植物栄養源であったろうと見られるのである。 |
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毎年この緑の絨毯の撤去作業で運動不足を充填するのです |
野老は煮て食うものである。切ったりつぶしたりしないで、丸まんまをよく煮れば、それだけで食えるものである。ところが辞書には、「ところ(野老) やまいも科のつる芋。実が上むきにつく。根茎は、にがみをぬいて食用とする」と。にがみをぬかなければ食用にならないように記している。どの辞書も、似たような記述になっている。辞書だけでなく、米沢藩の名著「かてもの」(享和二年三月、中条・莅戸著)にも、 |
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私は幼年時代に、ずい分と野老の世話になった。不作や凶作がつづいたせいもあろうが、そうでない年も私は野老を食べるのが楽しみであった。こくがあって腹ごたえのする野老は、待ち遠しい季節の味覚でもあった。長姉の婿で、わが家の労働力の中心であった義兄は、茸採りや野老堀りの達人であったが、昭和九年の冷害時には、誰も彼もやっきになって掘るので、「野老も蕨の根っこも無くなったズハー」と嘆くのを開いて、何とわびしい思いをしたことであったろうか。 |
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大食漢ならば、鍋一杯でもいけるかも知れない。そういう場合、糞づまりをおこすこともあるだろう。『かてもの』は、その糞づまりのことを懸念して、その対策を記しているわけだが、しかし白米のオモユで直るくらいのものだから、たちのわるい便秘とは違う。また同じオモユで「毒消」ともあるが、オモユで消えるような毒は、毒とは言えない。本草書(漢方薬のことを書いた本)に、野老は、腰や膝の緩弱なのや、尿毒、悪瘡の薬だと書いてある。また酒の飲み過ぎかくらくる内臓疾患にも効くと書いてある。先ずは効のみで害のない食品とみて間違いないであろう。 |