雪の生家

2006/02/08

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あっちは50代
こっちは60代

けっこう老けたかな

雪の生家

もまた良い

武田信安は名門甲斐武田氏の出身で武田信玄の祖父の弟にあたる。源氏の誼で最上氏を頼ってきたといい、1449最上義春により

この地に封じられ、高楯城を築いて城主となった。信安は領内の水利の悪さを解決するため、1451山辺の山中に玉虫沼を築堤した。

1460足利幕府の命により芦名戦争に出陣、戦いに利あらず多くの家臣を失う。

世の無常を悟った公は鬼の目山谷に入り仏門に帰依、修行を重ね了廣寺初代後院主様となったのである

 そして、その血脈は途中どうなっているのかは定かではないが系図上は現在まで繋がっているとのこと。
 峰一郎博士やおらいの甥っ子の万里君の遠いご先祖様は
武田信安公の執事のような役職に有り、玉虫湖の管理者のような役職を託され、それがついこの間まで続いたと「安達家の歴史」は語っている。(あまりにも昔の話で詳しくは不明と注釈はついているが)
 また大寺地区の武田さんを一世帯知っているので館長に「あの辺は武田姓は多いのですか」と質問すると「多いですね。信安公の子孫というより家臣の子孫みたいですね」との答え。な、なんと山辺は武田信玄の一族もかかわりがあったのだ。